みなさんこんにちは!
英語学習メディアAtsueigo運営者ATSUの詳細プロフィールです!
「ATSU」って誰?
世界一住みやすい街としても知られるメルボルン(オーストラリア)にて世界4大会計事務所で公認会計士として働く傍ら、英語学習メディアAtsueigoを設立運営しています。本名は西方 篤敬(ニシカタ アツヒロ)
1990年生まれの北海道出身。高校2年生が終わる頃、受験勉強をきっかけに英語が好きになり英語の勉強を始めました。大学生活中も楽しい学生ライフの対極で孤独に努力し続けた結果、いつのまにか海外大学院留学を経て海外でキャリアをスタートさせることになりました。
2018年現在の仕事は、
に加え、
Atsueigoを通じて
・Youtubeチャンネルの運営
・英語学習プログラムの監修・運営
・イベントやセミナーの主催・講演
・各種連載(ALC、DMM英会話、TOEIC プラスマガジンetc…)
など、諸々行っています。
英語学習プログラムでの個別コーチングでは400名以上の方を担当し、今後の英語学習計画や、それを達成するために必要な学習方法についてコーチングしてきました。
おかげさまでYoutubeの登録者数も10万人超え。今後より一層活動の幅を広げていきたいと思っています。
英語に出会うまで何一つ取り柄の無かった私の生い立ち
私の人生は、英語に出会うまで、とにかく普通の人生でした
ごく一般的な家庭で生まれ育った私には、生まれ持った才能どころか、努力して得た特技もありませんでした。両親も特に教育熱心というわけではなく、特に父親は寡黙で、私の学業について口出しをしたこともほぼありません。
私はもともと大変面倒くさがりな性格で、頑張ることがとにかく嫌いで、勉強もとにかく嫌いでした。
中学校での偏差値は大体50前後で、学年のちょうどど真ん中。ひどい時には社会の定期試験で20点台を取り、偏差値30台という驚きの数値を叩き出したこともあります。この時は親にバレるのが嫌で、テストを帰り道に跡形もなくちぎり捨てて帰りました(笑)
ちなみに偏差値30台のイメージはこんな感じです(汗)
中学校のときは母親に言われて仕方なく塾に通っていました。そして自分の身の丈に合った偏差値50前後の公立高校に進学。高校に進学してからも<母親はまた私に予備校に行くよう勧めましたが、断固拒否。もう勉強なんてどうでも良かったんです(もともとどうでも良かったのだが)。
「そもそも、大学って何?行く必要あるの?」と思ってました。
そして当時はなんとなくカッコいいという理由で美容師になりたいと本気で思っており、体験授業を受けに行ったりしていました。
ある不純な理由で勉強に火が付いた
しかし高校2年生最後の定期試験の時、ある不純な理由をきっかけに人生で初めて前向きに勉強を始めることになりました。そのきっかけとは、寡黙な父がボソっと言ったひとこと。
父親:「次の定期試験で学年10番以内に入ったら、現金で10万円やる…」
私:「…え?マジ?」
いつもは声が小さく聞き取りにくい父親のことばも、なぜかこの時は中学校のときのリスニングなみにクリアに聞こえました。その時なぜ父がこのようなことを言ったのか、私にはわかりません。そして今聞いても、「そんなことあったか?」と、まったく覚えていないようです。
しかし、私はこの一言で火が付きました。毎月5000円のお小遣いをもらい、その大半が当時使っていたガラケー代(携帯代金自腹)に消え、中学の時に集めた遊戯王のレアカードも売り飛ばし、ゼロ資産かつゼロキャッシュフローという綱渡りをしていた高校生の私にとって、10万円は大金でした。
この不純な動機によってまるで人が変わったかのように勉強を始めた私は、
この定期試験に全てをかける意気込みで一日約5~8時間の勉強を始めました。
学校では分かりやすい先生の時は死ぬ気で授業を受け、先生が何言っているか分からない(難しすぎ、説明意味不明、声小さい、など…)という時は授業を無視して自習していました。移動時間、休み時間などの隙間時間も勉強し、文字通りすべてを勉強に捧げました。
また当時はサッカー部に所属していたのですが、プレー中は頭の中ではその日覚えた英単語について考え、プレーの外でも全く勉強していないチームメイトに対してとにかく単語をアウトプットするなど、オフザピッチでの動きも徹底しました。
そして部活から帰って夕食を済ませてマックに移動し夜中まで勉強。土日も図書館とマックで勉強。こんな感じで
「お前頭でも打ったか?」
「自分の名前分かるか?」
「誰かと入れ替わってるんじゃないか?」
と言われるレベルで勉強したわけです。
その結果………
入ったんです。10番以内に。
自分の精一杯の努力で。進学校でない高校では高2の時期には誰も勉強していないという状況にも助けられたのは言うまでもありませんが。
そして、しっかりとアレも受け取りました。そうです。10万円です。それもちゃんと現金で。
こうして、私の人生で初めて自分の意志で努力することを決め、勉強し、結果を出したストーリーはハッピーエンドで幕を閉じたのですが、私はここで勉強することをやめませんでした。
一生懸命努力したら、見たことのない世界を体験できた
なぜ、ここで私は勉強をやめなかったのでしょうか?
主に2つの理由があります。
1つ目の理由は、「人生で初めて本気で努力して、結果が出たことで、強い喜びと快感を得ると同時に、成長することの楽しみを実感したから」です。それまで、面倒くさがりで何事も楽をしようと思い生きてきた私は、努力は単なる苦痛でしかないと思っていました。
しかし、この経験を通じて、努力という一種の痛みの先には、素晴らしい体験、そして世界が広がっているということに気がついたのです。努力すると、自分が成長する。その成長が、もっと成長したいというモチベーションに変わる。こうしたポジティブなサイクルが生まれると、何に対しても前向きに挑戦できるようになります。とても素敵なことだと思いました。
2つ目の理由は、「多くの科目を勉強する中で、英語という科目に強く惹かれ、もっと英語を知りたい、英語を使えるようになりたい」と思ったからです。
当時はまだ考えも浅く、まだどこかに「勉強って何のためにしているのだろう」と思うこともよくありました。
しかしそんな私でも「英語は将来使えるんじゃないかな」と考えていました。具体的に何に使えるかまではイメージできていませんでしたが、世界中で使用されているコミュニケーションツールであり、世の中に英語が溢れている中、無意識的に英語は身近に感じられていましたし、もしかすると違う新しい世界を見ることが出来るのではないかという感覚がどこかにあったのです。
そして、何より「英語を話せたらカッコいい」、そう思いました。これは論理的な理由も何もありません。単純に「英語話せるひとカッコいい。自分もそうなりたい。」この純粋な気持ちがもっと勉強しようという気持ちを引き起こしました。
こうして、高校2年生の終わりから、私は特に英語を中心に、本格的に勉強するようになりました。それも、どこの大学に行きたいという目的は一切なく、もう完全に趣味として勉強していました。自分の点数が伸びたり、順位が上がったりするのを、ゲームのように楽しんでいました。
そして覚えた英語を使おうと、修学旅行では英語の本を常にカバンに入れ、外国人に会う度に英語で話しかけ、写真を撮っていました。
沢山勉強しているのにも関わらず大して話せず、がっかりするのと同時に、「絶対将来はもっと英語が出来るようになるんだ!」とより強く思えるようになり、ここから増々英語の勉強を頑張るようになりました。
周りを気にせず、世界に挑戦することを決めた大学時代
金銭的な理由により地元の大学を勧められていた私は、小樽商科大学という国立大学に入学。
入学後は「これまでの人生全然勉強してなかったから、大学くらい勉強してみるか」という気持ちがあったので、サークルや部活にも入らず、周りが毎日飲み会などで楽しそうにしている中、コツコツと毎日5~12時間を費やし、英語を中心に勉強を継続していました。
当時の自分はすでに本気で努力して成長を実感することが、自分にとってどんなことよりも楽しいと理解していたので、この決断に何の迷いもありませんでした。
そして、努力を継続し英語力も順調に伸びていき、少しずつ、海外で英語を使って仕事をしてみたいなと思うようになりました。それを考え出したのが大学2年生の時。
周りや先輩を見ると、やりたくもない就職活動をして、思ってもいないことを書き綴って志望動機を作り、自分の意志で入った会社で愚痴をこぼすというようなケースをたくさん見てきて、そんな生き方は嫌だなと思っていた時期でした。
人生一回きりなのだから、やりたいことを精一杯やって生きていきたい。周りと同調するような人生ではなく、自らの意思で切り開き、自分だけのストーリーを描いていきたい。そう思っていた私は、「海外大学院に留学」し、「英語圏での就職」という目標を抱き、次のステップへ向けて準備を開始しました。
大学を成績優秀で卒業し、海外大学院に留学
人生で初めて大きな目標を設定した私は、まずはその第一段階である大学院留学を達成すべく、
・専門分野(会計学)の知識習得
・大学での優秀な成績
・返済不要の奨学金
を目指し、日々最適な方法を考え、努力してきました。
結果、上の全てを達成し、大学を成績優秀により3年で早期卒業し、志望していたオーストラリア国立大学(2018 QS世界大学ランキング20位)からもオファーをいただき、2013年に22歳で初の海外長期滞在を始めることになりました。
大学院留学、そしてそのままオーストラリアで就職
夢の海外留学生活を開始したのは良いものの、待っていたのは勉強、勉強、勉強、の毎日でした。
というような生活が基本で、1日の勉強時間は授業を含めると平均12時間前後でした。
そんな生活が、辛いときもありました。せっかく海外に来たのに、結局ずーっと勉強して、毎日が過ぎていく。もう少し、華やかなイメージを持っていたのにと、複雑な心境になることもよくありました。
しかし、そんな時、「なぜ自分がここに来たのか」を思い出すと、自然にそんな気持ちもなくなりました。将来海外でキャリアを築いてみたい、それを実現するために今自分はここにいるのだと、何度も自分に言い聞かせ、辛いときも必死でくらいついていきました。
その結果、在学中には米国公認会計士に合格し、卒業時も成績優秀(Distinction)で卒業することができました。そして、そうした自分の成果と、多くの運も味方にし、目標としていた海外での就職、それも世界有数の会計ファームでの機会を得ることが出来ました。
今、自分の経験を価値として提供したい
こうして私は、これまで英語学習を通じて様々な想いを抱き、行動し、経験してきました。その中で得られたのは成果だけではありません。理想の結果を導くために必要な知識、考え方、メソッドなど、多くのことを日々考え、習得することができたのです。
Atsueigoでは「英語でグローバルを切り開く」をスローガンに、私がここまで積み重ねた経験と学びを、さまざまな活動を通して、多くの方に価値として還元したいと思っています。
世界に飛び立ち、活躍したいと思う英語学習者の目標を、少しでも現実のものにするための後押しをすべく、今後も価値を生み出し続け、みなさんとともに成長していきます。